現代美術の家族たち
ゲンロン カオス*ラウンジ新芸術校 第4期の「選抜成果展」をお届けする。今回も昨年に引き続き、1年間にわたるサバイバル形式のプログラムを勝ち抜いた、6名の「選抜者」たちによる展覧会となる。
「ホーム・ランド」は、選抜成果展のタイトルであると同時に、選抜者たちに共通するテーマを表す言葉でもある。6名の選抜者たちは共通して、家族や母国、アイデンティティ、親密なものといったテーマを扱っている。
一般的に、学校の卒業展や成果展に出展する受講生たちは、偶然「同期」として居合わせただけの関係であり、必ずしもテーマを共有しているわけではない。これまでの新芸術校でも、成果展のタイトルはあくまで「冠」であって、それぞれの作品に共通するテーマを表すものではなかった。その意味で、今期は新たな展開をむかえたと言える。
それにしても、なぜ「家族」なのか。現代美術において、家族というテーマは常に厄介で、おさまりの悪いものとして脇に追いやられてきた。たとえば、1993年にヴェネツィア・ビエンナーレのアペルトに選出された中原浩大は、現在から見てもきわめて先駆的な「自分と妻と、将来2人の間に生まれるかもしれない子ども」をテーマとした作品を出品したが、全く理解されず、苦渋を舐めることになった。
中原は作品のステイトメントで、「このプロジェクトから一般論を導き出すことはできない」と書いている。なぜなら、「これは僕と妻、または僕と将来の子どもの問題」であり、「あなた達(観客)にはなんの意味も持たないこと」だから、と。
しかし、これはとても奇妙な宣言だ。ごく普通に考えて人は、それぞれの在り方は違っても、誰しもがなんらかのかたちで「家族」と関係している。つまり「家族」は、作者と観客といった垣根を飛び越える、きわめて一般的で、普遍的なテーマのはずである。
にもかかわらず、中原はそう考えなかった。中原の頭のなかには、現代美術において「家族」というテーマは、あくまで「個人的」で「特殊」なものだという前提が強くあった。そして中原の作品を見た当時の鑑賞者たちも、それが自分たちに関係するものだとは思わなかった。このエピソードは、現代美術が「家族」を扱うことの困難を象徴しているように思う。
振り返ってみれば、新芸術校では第1期から、「家族」をめぐる問いが繰り返し発せられていた(第1期の弓指寛治は「自死した母」について描き、第2期の磯村暖は、祖国を離れた移民たちとの奇妙で親密なパーティーを催した)。だとすれば、「ホーム・ランド」は、第4期の選抜成果展のタイトルであるだけでなく、これまでの新芸術校全体に関わる言葉なのではないか。
今回の成果展は、これまでの新芸術校の流れを引き継ぎながら、「家族とは何か」という困難かつ根本的な問いを、現代美術に対して投げかけるものになるだろう。
今年から、選抜成果展はゲンロンカフェではなく、五反田アトリエとGallery201の2会場で開催されることになった。ゲンロンカフェでは「裏成果展」として、惜しくも選抜メンバーからは落選してしまった受講生たちによる展覧会が開催される。
新芸術校生たちは、選抜であるか非選抜であるか、何期生であるかといった垣根を越え、受講生たちが共有するテーマについて表現する、まさに「家族」のようなものになりつつある。選抜成果展と裏成果展、両方の「成果」を見逃すことのないよう、ぜひとも足を運んでもらいたい。
■
※3月2日(土) 最終審査会(非公開) / 無料ニコニコ生放送にて閲覧可
===
今後の展示予定についてはこちら
http://chaosxlounge.com/
新芸術校のサイトはこちら
https://school.genron.co.jp/gcls/