ゲンロンカオス*ラウンジ新芸術校 第3期生展覧会グループD
2018年1月20日 – 6:07 PM

ゲンロンカオス*ラウンジ新芸術校についてはこちら↓
http://school.genron.co.jp/gcls/

 

 

<逃げ水追い>
ときどき、自分が人殺しになった夢を見る。殺人のシーンは無く、私は気がつくと人殺しで、追われていたり、裁かれていたり、牢屋にいたりする。そんな夢を見ると目覚めてもなおしばらく苦い後ろめたさが身を浸している。 
(私は人殺しなのだ) 

生まれ落ち、名付けられ、曲がりなりにもあなたがあなたとしてあること。それはいかにも必然的に見えるが、しかしその必然性は確認のしようがないことに過ぎない。 

あなたは殺されたかもしれない。 
あなたは殺したかもしれない。 
そして、 
あなたは殺すかもしれない。 
あなたは殺されるかもしれない。 

テロ現場の路上に転がる死体が自分でないことが不思議でならない。 
なぜ自分が銃を乱射しないのか不思議でならない。 
しかし現に私は犯罪者にも死体にもならずに今日ものうのうと飯を食っている。 

それを指して運命というには、情緒的に過ぎる。 
そこには単に出鱈目で非情な力のうねりがあるだけだ。 
ある者を沈め、またある者を浮かび上がらせるくろぐろとしたけものの運動。 
宝くじのごときはそれを人びとにやさしく教育してやる。 

可能性の人殺しと可能性の死体が、すなけぶりの向こうでうごめいている。 
一つまたひとつと影が加わってゆく。 
きっと人はそこに自分の顔を見つけるだろう。 

その数はいつまでも増え続け、とうとう視界を覆ってしまった。

<弔われざるもの>

<ebb and flow>
ニュートンは、晩年、自らを「海辺で遊ぶ子供」に喩えていたという。

私は海辺で遊ぶ子供のようなもので、大いなる真理の海がまったく未発見のまま目の前に広がっている間にも、普通より滑らかな小石やきれいな貝殻を見つけて夢中になっていたのだ、と。

未発見のままの大いなる真理の海。
その手前で小石や貝殻を拾い集める子供。
海辺の光景。
それが、万有引力と惑星の運動によって潮汐の現象を解き明かしたニュートンの隠喩だ。

しかし、彼は、その生涯において一度も海を見ることがなかったと言われている。
ニュートンの足跡は、イギリスという島国の中でも、ウールスソープ、グランサム、ケンブリッジ、ロンドンといった限られた範囲にとどまっていた。

つまり、彼にとっての海はデータから数理的に把握されるものであったという。

暗号としての海。
それは、本物の海よりも本物らしく真理に近いのだろうか?

いずれにしろ、海辺の事物はささやかで、海に比べてあまりにも小さい。
それらは、あちこちに散らかり、潮の満ち引きに晒され、浮き沈みしている。波にさらわれて、削りとられ、あまりにも不確定で、何の意味があるのかもよくわからない。

しかし、だからと言って、現にある事物を飛び越えてしまうことはできない。
小型ボートで大西洋を横断するようなプロジェクトではなく、それぞれの小石を握りしめることの方が、大いなる真理の海にアクセスするための布石になるのではないか。

海への憧れと同じだけ、たくさんの誤解がある。
私たちは、海辺で遊ぶ子供のように、ぼんやりと海を眺めている。

貝殻の奥に潜む潮騒に耳を澄ましながら。

〜〜〜

展覧会名:ゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校 第3期生展覧会グループD
『逃げ水追い』『弔われざるもの』『ebb and flow』

※本展では、グループDへの参加作家が、さらに3グループに分かれています。

会期:2018年1月20日(土)-1月28日(日)
開廊時間:
平日15:00~20:00 / 土日13:00~20:00
※但し1月27日は講評会のため、開廊時間は16:30〜20:00となります。

会場:ゲンロン カオス*ラウンジ五反田アトリエ
〒141-0022 東京都品川区東五反田3-17-4 糟谷ビル2F
※こちらの会場は「ゲンロンカフェ」ではございませんのでお気をつけください。

出展作家:
『逃げ水追い』 高木文香 / 辻野理恵 / 渡川豐也 / 中川佑梨
『弔われざるもの』 西吉利
『ebb and flow』 新井健 / 牧野亮希/cottolink / こまんべ / 小御門早紀 / 村井智 / 吉田無能

展覧会情報はこちら→http://ebbandflow.jp/