ゲンロンカオス*ラウンジ新芸術校 第3期生展覧会グループB『健康な街』
2017年11月15日 – 10:00 PM

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http://school.genron.co.jp/gcls/

健康な街とは?

「健康な街」ステートメント

現代は本来の意味とは異なる文脈で、その意味のズレに無自覚なまま使われて いる言葉が多く存在する。「健康」は一つの具体例だろう。 例えば「健康食品」という謳い文句に踊らされ、それを摂取する事で、本当 に自分の理想的なボディバランスに近づこうとする健康信者はどうだろうか。 彼らと、「健康食品」の関係性を改めて見直してみたとき、健康の主導権はど ちらが握っているのか。

日本国憲法第 25 条 1 項において「すべて国民は、健康で文化的な最低限度 の生活を営む権利を有する」とある。健康に生きる事を国家が担保した「生 存権」を有する私たちの健康に対する欲望が、今の街には過剰に溢れている。

人間は生きる以上、必ず生きるための「街」を必要とする。 今、街において何 かを「とどめる」ことは困難になりつつある。デトックス や再生(リフォーム) を試みたところで、排出されるべき要 素 とそうでないものを判 別 す る こ と は 難 しい。そのような困難は、人間の受容できる情報量をはるかに超えた「街」と いう外部からの過剰な侵入者に起因している。侵入者の取捨選択において、 もはや人間の側に主体性は無い。

「街」に在る要素が自分に接近してきたからといって、それ自体について理 解できるわけではない。それは個人の意志を無視して個人の身体に侵入して くる。むしろここで露わになるのは、侵入を受けたことで主体性を奪われたか に見える「人間の様相」だろう。 人間は「街」に生きるしかない。身体を持った個人と関係を結ぶ対象は「街」 の 中に存在する。理想化された自分の姿を盲目的に求める個人と、その欲望に 拍車をかける「健康食品」の関係も、「個人」と「街」という図式において展 開されている。「健康」という言葉のゆがみを伴った流布は、「街」で容赦な く生成し続けるカオスと、それを処理しきれない人間との間において起こっ ている。 言葉としての「健康」のズレ、生きる以上「街」との関係に埋め込まれてしま っている人間の在り様。このような実際の問題をテーマとして踏まえ、過剰 にゆがんだ「健康」概念の輪郭を探る。 混沌を破壊(死)ではなく生成(生)へ向かわせるための、健康な街で。

長谷川祐輔

 

街について

東京に15年住んだ。システムと秩序が、私たちを動かす。システムを止めないための労働が、この街の日常だ。私たちは街のために働く。個とコミュミティの意思の境界は溶けて、コミュニティの意思が、個の意思を書き換える。

街を考えていた。人が集まり、集落を作り、その中で経済活動が始まり、街になっていく。そして街から都市へ。コミュニティが秩序を求める。コニュニティが成熟する。街のシステムは更新され続ける。今、この街には「デトックス」が起きている。人口は減り、経済成長がありえない時代の入り口だが、デトックスされリフォームされた漂白の新しさが、人々にそれを忘れさせる機能を持つ。常に真新しいかの様に作り直される。この漂白の新しさを私たちは必要としていると、現代の空気にプログラミングされている。老いない街。

8日間だけだが、ここに街を作ろうと思う。この小さなスペースを街というのは、いささか滑稽だろう。しかし、街は、このスペースの中にはない。作品が、新しい街に連れていく。 まだ、コミュニティもシステムもプログラミングも生まれていない街だ。デトックスで流れ落ちた毒素もここにはある。未成熟を許容できない私たちの住む街は、この街を許さないだろう。 私たちの住む街の意思が、あなたの意思でないことを信じて、私たちは、9日目にこの街をスクラップする。それは、ここに作った8日間だけの街の意思である。

(小林真行)

展覧会名:ゲンロンカオス*ラウンジ新芸術校 第3期生展覧会グループB『健康な街』

会期:2017年11月18日(土)-11月26日(日)
開廊時間:
平日15:00〜20:00 / 土日13:00〜20:00
※但し11月25日は講評会のため、開廊時間は16:00〜20:00となります。

会場:ゲンロン カオス*ラウンジ五反田アトリエ
〒141-0022 東京都品川区東五反田3-17-4 糟谷ビル2F
※こちらの会場は「ゲンロンカフェ」ではございませんのでお気をつけください。

出展作家:有地慈 / 五十嵐五十音 / 小林真行 / 下山由貴 / 中川翔太 / 長谷川祐輔

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