Reborn-Art Festival 2017
2017年7月18日 – 2:27 PM

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カオス*ラウンジは「Reborn-Art Festival 2017」に参加します。

「地球をしばらく止めてくれ、ぼくは映画をゆっくり観たい。」

このパール座が、リボーンアートフェスの展示会場に決まるまで、様々な紆余曲折があったと聞いている。いくら歴史があるとはいえ、ポルノ映画館である。行政が主催する芸術祭の会場としてふさわしいのか、という懸念もあったという。一方で、パール座の側としても、今までさんざん石巻の「恥部」扱いしておいて都合のいいときだけ…… という思いもあっただろう。

しかしそんなことは、パール座が、石巻の劇場文化を担ってきた最後の砦であったという事実(※「日活パールシネマ小史」参照)に比べれば、実に些細なことである。インターネットでパール座について検索してみると、真っ先にヒットするのは、セクシャルマイノリティたちが情報交換をする掲示板である。パール座は長らく、彼ら彼女らの憩いの場、出会いの場でもあったのだ。震災後、わずか3ヶ月でパール座が再開したことを誰よりも喜んだのは、そのような「常連さん」たちであった。

映画館の暗闇は、日常世界から隔離された別の時間、別の空間を確保する、最も身近な場所のひとつである。だとすれば、パール座が劇場として、そしてアンダーグラウンドなコミュニティとして、60年近くも維持されてきたということこそが、石巻の文化のハード・コアにほかならない。このような場所を、石巻の文化の中心としてとらえることのできない芸術祭に、意味はないだろう。なぜなら、様々に異なる時間と空間が共存する場所にこそ、アートは宿るからである。

パール座が閉館した理由は、支配人である清野太兵衛氏の体力的限界であった。清野氏は今年90歳になる。週に数日だけとはいえ、つい先月まで営業していたこと自体が奇跡だったと言ってよい。パール座と清野氏は、戦後という時代、そして震災後という現在を、映画館の暗闇とともに生き抜いたのである。

カオス*ラウンジは、パール座という文化の中心、この場所に関わるすべてに敬意を評し、すでに閉じられてしまったパール座のなかに、架空の劇場を制作することにした。それは、かつてこの場所に、日常から隔離された暗闇があったということ、それが戦後から震災後まで守り抜かれたということを、もう一度思い出し、この場所に刻むためのモニュメントである。

 

【日活パールシネマ小史】

石巻には、幕末のころから続く豊かな劇場文化があった。市内には歌舞伎座が立ち並び、客をとりあって大いに栄えた。大正に入ってから歌舞伎座は映画館に変わり、東映、松竹、海外映画などを上映して市民の鑑賞眼を養った。戦後のピーク時には、19もの映画館が営業していた。

「日活パールシネマ」(以下、パール座)の開館は1957(昭和32)年だが、前身は1926(大正15)年に開業した「石巻歌舞伎座」である。明治30年頃、この地で酒造業をはじめた清野太利右衛門が、町の公会堂的な役割を兼ねる劇場として、自宅の筋向かいに回り舞台付きの本格的な劇場を建設した。当時では珍しい、鉄筋コンクリート2階建て(石巻市史による)の芝居小屋で、歌舞伎や新劇の上演で賑わったという。

 

幼少期から劇場運営の手伝いをしていた清野太兵衛は、芝居から活動写真へ、弁士からトーキーへと、めまぐるしく移り変わる劇場文化を目の当たりにしながら、自然と興行の道を歩んでいった。

石巻歌舞伎座は1941(昭和16)年、経営不振のため競売にかけられ、清野一族は興行から手を引くことになるが(石巻歌舞伎座は星澤喜兵衛が買い取り「文化劇場」と改名。1972年閉館)、それでも興行の夢を諦めきれなかった清野太兵衛は、1951(昭和26)年に木材の統制が解除され、材木が払い下げられたのを機に劇場を建ててしまう。しかし、フィルムを貸してくれる配給会社がなかなか見つからず、しばらくは「パールダンスホール」として営業していた。

その後、ようやく見つかった配給会社から廻されたのが洋画フィルムであったため、洋画専門の「パール映画館」としてオープンしたが、日活のチェーン展開にあわせて「日活パールシネマ」と改名、当時は日本映画最盛期であり、再映でかけた石原裕次郎映画には、連日入り切らないほどの観客が押し寄せたという。

パール座は、まさに日本映画興行のピーク時に開館していた。パール座開館の1年後である1958(昭和33)年、国内の映画観客は11億2745万2千人という数字を記録しているが、これを頂点として、その後はみるみる少なくなり、わずか5年後には半分にまで落ち込む。60~70年代のテレビ黄金時代、映画興行が深刻な打撃を受けるなか、1971年に日活は成人映画に活路を求めて「日活ロマンポルノ」を立ち上げる。パール座も、それに合わせて日活ロマンポルノ劇場としてリニューアルすることになった。

 

80年代後半から普及しはじめたレンタルビデオ店、2000年代からのシネコン進出などにより、ほとんどの既存の劇場は閉館し、その役割を終えてしまった。そしてなにより、2011年3月11日の東日本大震災は、細々と営業していた石巻の劇場たちに、深刻な被害をもたらした。

パール座も3月11日に被災し、2.5mの高さまで浸水した。壁にくっきりと残る痕跡は、いまでも生々しく当時の状況を伝えている。浸水被害でこの「シネマ1」は劇場として使えなくなってしまったが、それでも清野は懸命に復旧作業に取り組み、わずか3ヶ月後には「シネマ2」を再開。パール座は、2017年6月25日の閉館日まで、幕末から連なる石巻の劇場文化の、最後の生き残りとして営業を続けた。清野はすでに、89歳になっていた。

Reborn-Art Festival 2017
会期: 2017年7月22日(土)~9月10日(日)
会場: 宮城県石巻市(牡鹿半島、市内中心部) 提携会場:松島湾(塩竈市、東松島市、松島町)、女川町
※カオス*ラウンジの会場は日活パール劇場(〒986-0822 宮城県石巻市中央1丁目3−14)となります。年齢制限がありますのでご注意ください。
主催:Reborn-Art Festival実行委員会 / 一般社団法人APバンク
http://www.reborn-art-fes.jp/

キュレーション・演出:黒瀬陽平
参加作家:秋山佑太・荒渡巌・梅沢和木・藤城嘘・柳本悠花・山内祥太