反魂香−再演
2017年3月23日 – 10:05 PM

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この度、カオス*ラウンジは、西巣鴨の西方寺にて『反魂香ー再演』を開催します。
江戸時代に身寄りのない遊女たちの「投げ込み寺」として知られ、様々な文学作品に登場する「二代目高尾」の墓があることで知られる西方寺。2017年2月末、西方寺を会場として、二代目高尾にまつわる古典落語「反魂香」をテーマにした展覧会『反魂香』を開催しました。

2017年2月末、株式会社ゲンロンが主催する「ゲンロン カオス*ラウンジ新芸術校上級コース」の成果展の関連企画として開催した『反魂香』は、わずか5日間の会期にも関わらず、寺院と墓地という特殊な会場を利用した展示構成や、死と慰霊を扱ったそのキュレーションの完成度が評価され、成果展という枠を越えて話題を呼びました。

本展は、会期終了後に多く寄せられたアンコールのリクエストにお応えし、『反魂香』の「再演」というかたちで開催します。『反魂香』は、震災後、「市街劇」という形式でプロジェクトを展開してきたカオス*ラウンジのキュレーションと、新芸術校という全く新しい美術教育プロジェクトの成果が結実した展覧会として、現時点でのひとつの完成形と言 ってもよいでしょう。

また、会期中には、Port B主宰の演出家、高山明氏をお招きしてのトークイベントも開催します。演劇と美術を横断する活動で、日本にとどまらずアジア、ヨーロッパ圏でも高く評価される高山氏が、現代美術としての本展をどのように見るのか、本展キュレーターの黒瀬陽平と対話します。

死と慰霊、という大きなテーマを、美術、演劇、文学、宗教といった複数のジャンルを横断しつつ、新しい現代美術展として提示する『反魂香ー再演』を、ぜひご高覧ください。

【開催概要】

主催:合同会社カオスラ

会場:西方寺(豊島区⻄巣鴨4-8-42)
三田線「西巣鴨駅」A4出口から徒歩1分、JR線「巣鴨駅」北口から徒歩15分

開催期間:2017年3月26日(日) – 3月30日(木)

26日(日) : 17:00~20:00 ※オープニングレセプション
27日(月) : 12:00~17:00
28日(火) : 12:00~18:00 ※トークイベント高山明×黒瀬陽平(18:00~20:00)
29日(水) : 12:00~17:00
30日(木) : 12:00~20:00 ※クロージングパーティー

観覧料:500円(高校生以下は無料)

キュレーション:黒瀬陽平(美術家、美術批評家)、井戸博章(彫刻家)
参加アーティスト:井戸博章、梅田裕、金藤みなみ、鈴木薫、永山伸幸、村上直史

【オープニングレセプション】
日時:3月26日(日) 19:00~

【トークイベント】
出演:高山明(演出家、Port B主宰)× 黒瀬陽平
日時:3月28日(火) 18:00−20:00
会場:西方寺 本堂
参加料:1,000円

お問い合わせ: info[at]chaosxlounge.com

『反魂香』について、「煙」のなかで

かつて西方寺(1622年建立、諸説あり)は浅草にあり、身寄りのない遊女たちの「投げ込み寺」であった。現在の西巣 鴨に移ったのは、関東大震災の後である。
西方寺には現在も、浅草の頃からあった遊女たちに墓が残されている。その中に、様々な文学作品に登場する遊女「二代目高尾」と、西方寺を開基したと伝えられる道哲道心(島田重三郎)の墓が、寄り添うように建っている。

よく知られているように、落語「反魂香」は、夫婦の契りを交わしたにも関わらず、仙台藩主・伊藤綱宗によってその仲を引き裂かれた、高尾と道哲が主人公の噺である。 綱宗に身請けされた高尾は、道哲に操を立て、綱宗の求めに応じなかったため、隅田川の船の上で、きわめて残酷な処刑法である「逆さ吊り」によって切り捨てられた。死を覚悟した高尾は、「反魂香」(焚くと死者が蘇り、その煙の中に姿を現すと言われる香。漢の武帝の故事による)を道哲に託していた。高尾を失った道哲は僧侶となり、亡き高尾の姿をひと目見ようと、夜な夜な鉦(かね)をつき、反魂香を焚いて高尾の霊を呼び出していた。

「反魂香」は笑い噺である。 長屋に住む八五郎は、同じ長屋の坊主が夜な夜な鉦を打ち鳴らすせいで眠れない。坊主のところに「クレーム」を言いに行くと、その坊主こそ、高尾を失って僧侶となった道哲であった。道哲から反魂香のことを聞いた八五郎は、実は自分も数年前に妻を亡くしており、自分にも反魂香を分けてくれと言う。しかし、「これは高尾と私だけのものだから」と断られ腹を立てた八五郎は、「香」ならば薬屋にあるだろうと薬屋を叩き起こすが、間違えて「反魂丹」(胃薬)をたくさん買い込んでくる。 長屋に帰って反魂丹を火にくべるが、煙ばかりでいっこうに妻の姿は現れない。煙でむせこんでいる八五郎のところに、不審な煙に気づいて様子を見にきた近所の奥さんがやってくる。「お前は俺の女房かい?」「なにを言ってんだい、さっきからあんたんとこ、きな臭いよ」。

落語「反魂香」は、死者を想う生者の気持ちや、死者のために生者が行う儀式や祈りについて、絶妙な距離感で描き出している。道哲の祈り(鉦)は、八五郎にとっては「迷惑行為」だった。しかし、自分も道哲と同じ境遇だと知った八五郎は、その祈り(煙)を「反復」しようとする。そして八五郎の早とちりのおかげで、その祈りは「迷惑行為」だけでなく「喜劇」にまで転落(あるいは上昇?)する。

死者はすでにここにいない。見ることもできないし、どこにいるのかもわからない。いや、本当にいるのかさえ、確かではないだろう。だからこそ、死者のための祈りや儀式の意味は、客観的には確定できない。「反魂香」が笑い噺なのはそのためである。

芸術もまた、その意味が客観的に確定できないという点で、死者のための祈りや儀式と似ている。芸術作品は常に、誰かにとっての「迷惑行為」かもしれない、あるいは作者の意に反して「喜劇」に見えているかもしれない、という恐怖にさらされ続ける宿命だ。その運命から完全に逃れようとすることはおそらく、宗教や芸術の夢であっただろう。しかし、その夢を早急に実現しようとするあまり、宗教や芸術を裏切ってしまうという事例を、私たちは知りすぎている。

死者はつねに、煙とともに現れる。その煙を取り去ろうとすれば、死者もろとも消えてしまう。そこに見えるものが、悲劇であろうと喜劇であろうと、私たちは煙のなかから、その向こう側を見つめるほかないのである。

黒瀬陽平