百五〇年の孤独
本展キュレーター 黒瀬陽平



かつて、ここは、「復興の失敗」を経験した。


現在の福島県いわき市の南東部、太平洋側沿岸に広がる平野一帯。
2011年よりずっと昔のこと。そこは、かつて「泉藩」と呼ばれていた。


今からおよそ150年前、明治政府の最初にして最大の宗教政策、「神仏分離令」が出された。
明治政府は、国家公認の宗教を仏教から神道へと変えようとし、その準備としてまず、神と仏の信仰を切り 離すよう命じた。仏教伝来から1000年以上続いていた神仏習合は、日本の近代化のとば口で、真っ向から否 定された。


神と仏を同一視してはいけない。神と仏は区別せねばならない。神仏分離令は、ひとまずはそのように命じ る政策だった。しかし、実際には、全国各地で激しい寺院の打ち壊しが起こった。寺や仏像は燃やされ、墓 石は壊され、打ち捨てられた。仏教に対するイコノクラスム、つまり「廃仏毀釈」である。


明治政府は、神と仏を分けなさい、と命じただけ。なのに、なぜ?
江戸時代の僧侶たちがすっかり堕落していたから? 儒学や国学が仏教を敵視していたから? 寺院が持ってい たたくさんの領地や財産が欲しかったから? ……さまざまな理由が考えられるけれど、ひとつに絞ることは できない。特定の誰かに責任があるわけでもない。近代化がもたらしたアイデンティティークライシスと、 それにともなう集団ヒステリーとしか、言いようがない。


泉藩には、およそ60の寺院があった。そして、廃仏毀釈により、すべての寺院が無くなった。
60という数は、決して多くはない。特に廃仏毀釈が激しかった鹿児島藩では1000ヵ寺以上、土佐藩では400 ヵ寺以上が廃寺になった。
しかし、泉では、その後の「復興」が進まなかった。現在でも、旧泉藩のエリアにはたった2つしか寺院が 存在しない。つまり、泉は廃仏毀釈からの復興に「失敗」したのである。


仏教が消滅する。それは、死者と生者の繋がりが断たれる、ということを意味している。仏教は長い間、こ の国の「死者」と「死後」をケアしてきた。なぜ葬式をするのか。なぜ経をあげるのか。なぜ墓があるの か。すべては生者が、「死者」と「死後」と関わり続けるための方法である。


仏教が滅んだあと、泉では、神道がそのかわりを務めようとしてきた。しかし神道はこれまで、人間の死や 死後に対して、ほとんど関心を払ってこなかった。そのための世界観も、儀礼も、モニュメントも十分に持 っていない。神道は、身近な死者に対して、うまく語りかけることができないのである。


泉の「復興の失敗」。生者と死者は分断され、150年の孤独を生きている。
そのような過去が、現在の私たちと何の関係があるというのか。私たちにとって直近の、あの震災からの復 興を差し置いて、150年前の宗教問題を持ち出すことに、違和感を覚える人もいるかもしれない。ましてや、 それが現代美術と何の関係があるのか、と。


ぼくたちは一年間、泉の街を歩いてみた。かつて寺院だった場所を全てめぐり、その街並みや風景を見た。 わかったことは、かつての「復興の失敗」は、現在の泉の街並みや風景にも、確かに影を落としている、と いうことだ。生者と死者の関係が変われば、街も変わる。150年の孤独のなかで、ゆっくりと変わっていく。


そして、その街並みや風景は、今まさに被災地で進みつつある「復興計画」を、そこで新しく生まれている 街並みや風景を、想起させずにおかない。巨大な防波堤、かさ上げされた防災緑地、整然と立ち並ぶ復興住 宅。それらの風景が持つ、ある種の違和感と、泉の街並みに残るかつての「復興の失敗」の痕跡は、どこか 似たものに見える。


かつての「復興の失敗」が、150年の孤独が、現在の「復興」の風景にオーバーラップする。
おそらくこの街には、「復興」をめぐる過去と現在と未来、すべてが投影されている。
ぼくたちは、かつての「復興の失敗」をたどっているうちに、いつの間にか、現在の「復興」に足を踏み入 れていた。
現在の「復興」はどこへ向かうのだろう。ぼくたちは、かつての「復興の失敗」とは違う未来に進むことが できるだろうか。


今回で3回目をむかえる、いわきでの「市街劇」は、泉を歩く。
「復興」をめぐる過去、現在、未来を歩く。
ぼくたちは、そのための地図を用意した。


さあ、歩こう。

近代の廃墟を通り過ぎ、現在の「復興」を見ながら、その先に。


【「カオス*ラウンジ新芸術祭」とは】



「カオス*ラウンジ新芸術祭」は、アーティストグループ「カオス*ラウンジ」(合同会社カオスラ)が主催する リサーチ&アートプロジェクトです。
カオス*ラウンジは2014年から、福島県いわき市の各地を継続的に訪れ、美術史的、民俗学的、社会学的なリ サーチを重ね、その成果として2015年から1年に1回、いわき市内で「展覧会」を開催してきました。

第1回目である『カオス*ラウンジ新芸術祭2015 市街劇「怒りの日」』は、 1970年代に寺山修司が考案した 「市街劇」をオマージュし、福島県いわき市平地区の複数会場をツアー形式で巡回させる、新しい形の芸術 祭として好評を博しました。第2回目の『カオス*ラウンジ新芸術祭2016 市街劇「地獄の門」』は、「怒り の日」の続編として市街劇形式を踏襲しながらも、新しいテーマと新しいアーティストたちを加え、同じく 平地区で開催しました。あわせて小名浜地区でも『市街劇「小名浜竜宮」』と題した展覧会を同時開催しま した。

【カオス*ラウンジ新芸術祭2017「百五〇年の孤独」について】



今年で3回目となる新芸術祭は、いわき市南西部の泉地区で開催します。
旧泉藩は、幕末~明治期に全国的に起きた「廃仏毀釈」運動によって、藩内のすべての寺院が打ち壊される ほど、廃仏毀釈が激しかった地域でした。廃仏毀釈による打ち壊しから復興した寺院は2つしかなく、廃仏 毀釈の爪痕は、現在も泉地区の至る所に残っています。言ってみれば、泉地区は幕末~明治期の廃仏毀釈に おいて、「復興の失敗」を経験していたのであり、それは現在まさに進行中の「復興」の行く末を考えるた めの、貴重な先行事例になるのではないでしょうか。

しかし、旧泉藩の廃仏毀釈の実態やその後については、ほとんど文献や資料が残っておらず、研究もわずか しかありません。カオス*ラウンジは2016年から、泉地区の廃仏毀釈についてリサーチを重ねてきました。 旧泉藩内の廃寺跡を訪れ、関連資料を調査し、未だにあまり明らかになっていない事実の発見や、新資料の 発掘なども行いました。それらの成果を踏まえた上で、「復興の失敗」をテーマとした市街劇形式の展覧会 を開催します。
カオス*ラウンジによる市街劇形式の展覧会の試みは、2011年11月に開催した『カオス*イグザイル』(フェ スティバル・トーキョー2011主催作品)からはじまっています。被災地での市街劇は「怒りの日」(2015 年)からであり、今回の市街劇「百五〇年の孤独」は、市街劇形式の展覧会の試みとして、そして震災後の カオス*ラウンジの取り組みとして、現時点での集大成になります。

震災後を生きる私たちにとって、復興や慰霊、鎮魂とは何なのか。現代における芸術や宗教の役割とは何な のか。日本の現代美術に何ができるのか...... そのような大きく、困難な問いに、カオス*ラウンジなりの実 践をもって、ひとつの回答を示す展覧会になることでしょう。



【開催概要】


会場:zitti
(〒971-8172 福島県いわき市泉玉露2丁目2-2)
ほか、泉駅周辺の複数会場

開催期間:
2017年12月28日(木)~2018年1月28日(日)
※1月からは金土日祝のみ
12月28日、29日、30日、31日
1月5日、6日、7日、8日、12日、13日、14日、
19日、20日、21日、26日、27日、28日
合計17日間)

会場時間:10:00~18:00

※本展は、JR常磐線・泉駅からすべての会場を徒歩でご覧いただけますが、会場間の移動に徒歩10分以上要する場合もあります。
もしお車でお越しの際は、専用の駐車場はありませんので、ご注意下さい。

※全体の鑑賞時間の目安は3時間程度です。
期間中の日の入り時間は16:30ごろです。屋外展示や移動が多いので、暗くなると鑑賞しにくい作品もあります。できるだけ早い時間にお越し下さい。

観覧料:1,000円(高校生以下は無料)
交通案内:JR常磐線・泉駅北口より徒歩2分
公式サイト:
http://chaosxlounge.com/zz-izumi/jigoku.html
お問い合わせ:info@chaosxlounge.com
主催:合同会社カオスラ

キュレーション、演出:
黒瀬陽平(美術家、美術批評家、カオス*ラウンジ代表)

参加アーティスト:
荒木佑介、市川ヂュン、井戸博章、今井新、
梅沢和木、梅田裕、酒井貴史、鈴木薫、
パルコキノシタ、百頭たけし、藤城嘘、
柳本悠花、Houxo Que、KOURYOU、SIDE CORE
......ほか

リサーチチーム:
黒瀬陽平、江尻浩二郎(郷土史研究、東日本国際大学非常勤講師)、
亀山隆彦(仏教学、龍谷大学非常勤講師)、荒木佑介(アーティスト)



 
 
 
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